加藤諦三さんの『言いたいことが言えない人』を読んでいたときだった。
突然、過去の記憶が蘇ってきた。
この手の本は、そういう本だ。
心の奥深いところにこっそり潜んでいた怒りを、
表に連れてくる。
日曜日の電話
小学5年のときだ。
学校が休みの日だった。
普段あまり遊ばない同級生から、電話があった。
「学校さこいど」
なぜ呼ばれたのかは、わからなかった。
母は言った。
「なんで学校にこいって呼ばれたんだ? 電話してきき直せ」
そして、こう付け加えるのも忘れなかった。
「理由もわからず行くなんて、バカだ」
この後この会話がどう流れたのか、詳細は覚えていない。
ただ、次の一言だけは、
三十年以上経ったいまも、覚えている。はっきりと。
母は言った。
「お前は嫌われてんだ!!」
周りには、兄と妹がいた。
母が「お前は嫌われてんだ!!」と私を突き放したとき、
母の表情は、どこか勝ち誇ったような、サディスティックなものがあった。
母の目は、しっかりと私を見据えていた。
その目にあったものを、いまなら名前で呼べる。
嘲笑。
無力な私は、小さく頷くしかなかった。
今思い出せば、なぜあの人は、勝ち誇ったような表情で私を突き放したのか。
嫌われている私を嘲笑したのか。
ただただ「ひどい人」という、ありきたりな結論にしか辿り着けない。
知っていた
私は、知っていた。
自分が嫌われていることには、とっくに気づいていた。
むしろ、そのことでずっと悩んでいた。
どうしたらいいか、わからずにいた。
近所には同級生がたくさんいたのに、
帰り道は、いつも一人だった。
いまであれば、あれは「いじめ」と呼んでいいものだったかも知れない。
とにかく自分は孤独の中にいた。
それでも、親に相談することはできなかった。
「恥ずかしい」という気持ちが先に立った。「友達に嫌われるなんて、恥ずかしい」。
家庭に、仲間はいなかった
その年の冬のこと。
部屋にこもって、
音楽を聴きながら漫画を読んでいると、
姉が入ってきて、勝ち誇ったように言った。
「お父さんが、ガキのくせに一人で電気つけてストーブつけて、
お金無駄にして生意気だっていってけばよ」
一人で部屋にいることが、父と姉に攻撃される。
家庭に、仲間はいなかった。
家庭に居場所がないことが、
私には、当たり前だった。
加藤諦三『言いたいことが言えない人』には
「人間嫌いの人に囲まれていた。そういう集団のなかで成長した」と記述されている。
自分のことじゃないか。
相談できなかったのは、弱さではない
あの日の「恥ずかしい」は、
あの家で育った私を象徴する感情だったと思う。
理不尽に責められた悔しさや、 憎しみは、無意識の私の中にきちんと蓄積されていくという。
加藤諦三『言いたいことが言えない人』には、そんなことが「これでもか」とばかりに、洪水のような激しさで私の意識を襲ってきた。
それほどまでに衝撃的な本だ。
「言いたいことが言えない人」の特徴として「警戒心、不信感、低い自己評価」が挙げられている。
「従順の裏に敵意がある」んだという。
ああ自分じゃないか、と思う。
この本を読んでいて、
あの日の記憶が戻ってきたのは、
偶然ではないのだと思う。
本の言葉のエネルギーが、私の無意識の中にしまいこまれていた記憶を呼び起こしてくれたんだと思う。
「言いたいことが、言えない人」
恥ずかしさの前に、知っていたのだと思う。
言っても、受け止めてもらえないことを。
言えば、突き放されることを。
言えなかったのは、弱さではなくて、
あの家で身につけた、正確な判断だった。
それでも、ここまで生きてきた
あの家庭で生きてきて、
それでも私は、ここまで生きてきた。
いっぱしの社会人として働いてきた。
子育てにも、真正面から取り組んでいる。
そんな自分を、まずは、たたえたいと思う。
あなたのことも、同じだ。
誰にも受け止められないまま、
それでもここまで生きてきた。
そのことを、たたえていいのだと思う。
私は、この記憶を連れてきた本を、
ここに置いておきたい。
心の奥に潜んでいたものを、
表に連れてくる本だ。
