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「愛されてこなかった」と認めるまで|加藤諦三『自分のうけ入れ方』

心が疲れているとき、
小説も読めないことがあった。

音楽も入ってこない。

ただ横になって、
ラジオだけを流している。

そういうとき、
ラジオ人生相談だけは聴けることがあった。

相談者の話を聞いているはずなのに、
いつの間にか、自分の中の何かが反応している。

その人の悩みを聞いているのか、
自分の話を聞いているのか、
わからなくなることがあった。

中でも印象に残っていたのが、
パーソナリティの加藤諦三氏だった。

相談者が少し話しただけで、
その人の奥にあるものを言い当てる。

すごいなと思った。

ただその頃の私は、
何がどうすごいのかまでは、
まだわかっていなかった。

目次

妻の妊娠で、自分の中の問題に気づいた

大きなきっかけは、妻の妊娠だった。

私たち夫婦には、
なかなか子どもができなかった。

7年間、不妊の時期があった。

だから妊娠は、
本当に待ち望んでいたことだった。

嬉しかった。
ようやく人生の次のスーじに移ることができる。

そう思っていた。
でもそんなきれいにはいかなかった。

実際に妻が妊娠すると、
自分の中に別の感情が出てきた。

私は、子どもとどう接したらいいのか、
よくわからなかった。

どう抱くのか。
どう叱るのか。
どう距離を取るのか。

どんな親でいればいいのか。

周りの人に聞くと、
たいてい同じように言われた。

「普通にしていればいい」

でも、その普通がわからなかった。

普通に育てられた感覚がない人間に、
普通に育てればいいと言われても、
何をすればいいのかがわからない。

その頃から、
私は少しずつ、自分の育った家庭のことを
考えざるを得なくなっていった。

妻が妊娠7か月くらいの頃だったと思う。

私は、ふと気づいた。

自分が育ったような家庭を、
もう一度作りたいとは思っていない。

自分の親のようには、
なりたくない。

それは立派な決意というより、
もっと切実な感覚だった。

加藤諦三『自分のうけ入れ方』を読んだ

その頃、近くの本屋で見つけたのが、
加藤諦三さんの『自分のうけ入れ方』だった。

読み始めてすぐに、
これは普通の読書ではないと思った。

数ページ読むだけで、
過去の場面が戻ってくる。

忘れていたこと。
言えなかったこと。
飲み込んできたこと。

そういうものが、
一つずつ呼び起こされる。

読んでいて、かなり疲れた。

本を閉じたくなる。
でも、閉じてしまうと、
また元の場所に戻ってしまうような気がした。

この本は読まなければいけない。

そんなふうに思った。

楽しい読書ではなかった。
癒やされる読書でもなかった。

けれど、
その時の私には必要な本だった。

「愛されてこなかった」と認めること

本の中には、
愛されずに育った人についての言葉があった。

愛されなかった人は、
人を信じることが難しくなる。

困ったとき、
助けが必要だったとき、
親がそこにいなかった。

そういう体験が積み重なると、
人を信じる感覚そのものが育ちにくくなる。

私はそれを読んで、
自分のことだと思った。

それまでも、
薄々感じていたことではあった。

でも、はっきりと言葉にすることは避けていた。

自分は親に愛されてこなかったのではないか。

そう認めるのは、
とても苦しいことだった。

親に愛されてこなかった。
普通の家庭で育ったわけではなかった。
自分がずっと苦しかったことには、理由があった。

それを認めることは、
親を責めることだけではなかった。

自分の人生が苦しかったことを、
自分で認めることでもあった。

この本は、
その現実から逃げないための本だった。

親との距離が、人との距離になる

もう一つ、強く残った話がある。

子どもは、
母親との距離を基準にして、
人との距離を覚えていく。

母親との距離。
家族との距離。
友人との距離。
他人との距離。

そういうものを、
家庭の中で少しずつ覚えていく。

けれど、その母親との距離が遠すぎると、
人との距離そのものがわからなくなる。

近づきすぎる。
離れすぎる。
信じすぎる。
疑いすぎる。

相手との間合いが、
いつまでもよくわからない。

私はそれも、
自分のことだと思った。

自分は性格が悪いのではない。
人付き合いが下手なだけでもない。

そもそも、
人との距離の取り方を、
家庭の中で学べなかったのかもしれない。

そう考えると、
これまでうまくいかなかった人間関係のいくつかに、
少し説明がつくような気がした。

子どもが生まれても、親は変わらなかった

それでも私は、
どこかで親に期待していた。

子どもが生まれれば、
親は変わるのではないか。

孫には優しくしてくれるのではないか。

自分にしてくれなかった分、
孫には何かをしてくれるのではないか。

そんな期待があった。

今思えば、
それはかなり苦しい期待だった。

子どもを通して、
もう一度親に愛され直そうとしていたのかもしれない。

けれど、
現実はそうならなかった。

子どもが生まれたことで、
むしろ見たくなかったものが、
はっきり見えるようになった。

子どもへの接し方。
妻への態度。
家族の中で繰り返される、
どこかおかしな感覚。

当時の私は、
母に対して強い怒りを持っていた。

ただ今になって振り返ると、
怒りだけではなかったのだと思う。

妻が傷つくこと。
子どもたちに、同じような感覚が流れ込んでいくこと。

それをもう、
見過ごせなかった。

自分だけなら、
まだ我慢していたかもしれない。

でも、
妻と子どもがいる。

その時点で、
これはもう、自分一人が我慢して済む話ではなくなっていた。

距離を置かなければ、見えないものがあった

ある時、母と大きく衝突した。

私はそれまで言わずにいたことを、
初めてはっきり言った。

すると、関係は一気に壊れた。

その時、
父が間に入ってくれるのではないかと、
どこかで思っていた。

けれど父は、
私がなぜ怒ったのかを聞かなかった。

その時、ようやくわかった。

この家では、
私が黙ることで保たれていたものがあった。

私が調整役をやめると、
誰もその役を担わなかった。

壊れたものは、
壊れたままだった。

それは悲しいことだったが、
同時に、私にとっては大きな発見でもあった。

家族が成り立っていたのではない。

私が我慢することで、
家族の形が保たれていただけだったのかもしれない。

そう思うようになった。

親と離れて、少しずつ見えてきたこと

親と距離を置くことが、
誰にとっても正解だとは思わない。

近くにいた方がいい人もいる。
時間をかけて関係を作り直せる人もいる。

けれど、
距離を置かなければ、
自分の感覚を取り戻せない場合もある。

少なくとも私には、
そういう時間が必要だった。

親から離れてみて、
少しずつわかってきたことがある。

自分がどれほど、
親の感覚を基準にして生きていたのか。

どれほど、
自分の感情を後回しにしていたのか。

どれほど長いあいだ、
自分の人生を自分のものとして感じられなかったのか。

離れてすぐに楽になったわけではない。

きれいに解決したわけでもない。

ただ、
距離を置いたことで、
ようやく見えるようになったものがあった。

この本を、ここに残しておきたい

加藤諦三さんの『自分のうけ入れ方』は、
私にとって、楽に読める本ではなかった。

むしろ、読むのがつらい本だった。

けれど、
そのつらさの中に、
自分を取り戻すための手がかりがあった。

親を許せるかどうか。
親と和解できるかどうか。

それは、すぐに答えを出せることではない。

無理に許さなくてもいい。
無理に近づかなくてもいい。

まずは、
自分が何を感じてきたのかを、
自分で認めること。

そこから始めてもいいのだと思う。

親から離れることで、
ようやく息ができる人もいる。

そういう人生があることを、
私はもう少し早く知りたかった。

だからこの本のことを、
ここに残しておきたい。

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