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「なんとかなるでしょ」|『心の病の診察室』

前の手紙に書いた、初診の日の続きだ。

看護師さんの聞き取りが終わると、
診察室に通された。

ここも和室で、ソファがあった。

医師は、私を見た。

私はなんとなく、目を合わせずにいた。

それでも医師は、私を見続けていた。

これは、敢えて目を合わせようとしているのだ。

そう気づいて、私はソファに座りながら、医師の目を見た。

無条件でこちらを受け入れている、
包容力のある、力強い目だった。

長寿番組「新婚さんいらっしゃい!」で
シナリオライターをしていたおじいさんと、同じ目だと思った。

鋭いけれど、愛に溢れた目。

目次

「このカウンセリングは、時間かかるなぁ」

年配の男性だった。

医師は、私のカルテをゆっくり読んだ。

「このカウンセリングは、時間かかるなぁ」

独り言のように、つぶやいた。

「これがなぁ、きついだよなぁ」

ペンで、カルテをペンペンと叩いた。

そこは私の家族構成——双子の部分だった。

双子の親であることが、
私をよけいにつらくさせているのだという。

治療の入り口で、
「時間がかかる」と告げられたわけだ。

けれど不思議と、嫌な感じはしなかった。

ごまかさない人なのだと思った。

「与えてもらっていないものは、与えられない」

そして言った。
さも当然というように。

「与えてもらっていないものは、与えられない」

きょとんとする私に続けて言った。
「親から与えてもらっていないんだよ。だから自分もできない」

私が人間として冷たい、というわけではないのだという。

渡されていないものを、
渡せずにいただけだった。

「気づいたから。なんとかなるでしょ」

医師がポツリポツリと話しているのを、
私は、つい遮った。

「双子でも、私に似ている子と、妻に似ている子がいるんですが、
私に似ている方を、かわいいと思えないんです」

私の涙腺は、タガが外れてしまっていた。

けれど、あのとき医師は驚かなかった。

「可愛いと思えない」と言っても
医師は単に「そういうものだ」と言った。

「この子も私のようになってしまうのではないですか」と私は聞いた。

「連鎖するってことかい。そうだね。
親の愛情不足は、連鎖し続けて起きている。」

その発言に一気に不安になった私に、医師は目を合わせた。

そして、「何てことない」という表情で言った。
「なんとかなるでしょ」

拍子抜けするほど、軽い言葉だった。

こちらはものすごく重いテーマを渡したが
帰ってきた答えはごく軽いものだった。

どこか投げやりに聞こえなくもなかったが、
本当になんとかなると思っているようでもあった。

「なんとかなるでしょ」。

けれどあの日から今日まで、
私はこの言葉に何度も助けられている。

母親の葬式に行かなかった医師

医師は、続けた。

「ちょっとひどいことを言うかもしれないけど」

そう前置きして、言った。

「あなたの母親は、あなたの言う通り、
学歴コンプレックスがあって、冷淡で、
でも自分では愛情深いと思っている。
その通りなんだよ」

私は、深く頷いた。

そして医師は、あけすけに言った。

「僕は、母親の葬式にすら行ってない。足が向かなかった」

私は驚いて、医師を見た。

彼は「何てことない」という表情だった。

「この近藤章久という人に、カウンセリングしてもらったの」

そう言って、机の上に積まれた本を見せてくれた。

『ホーナイの最終講義』。

近藤章久という人が翻訳した本だった。

そうか。

この先生も、母親との関係で苦しんだのか。

そういえば、加藤諦三氏もそうだった。

「愛されなかった人」のための本を書いてくれた人たちは、
みんな、その道を先に歩いた人たちだった。

帰り際、医師は私を「感受性が強い」と表現した。

それがどんな意味を含むのかは、
そのときは、わからなかった。

待合室で見つけた本

待合室の出窓に、本が並んでいた。

『心の病の診察室』。

この医師が書いた本だった。

順番を待つあいだに読んだ。

子どもの頃に親から愛を受けられなかった人は、
大人になってから苦しむ。

加藤諦三氏の本で読んだのと、
同じことが書いてあった。

同じことを考え、医師として治療に取り組む人が、
こんな近くの、小さな診療所にいた。

あの待合室の人たちが暗い顔をしていなかった理由が、
少しわかった気がした。

連鎖は、気づいた人のところで止まり始める

もしあなたが、
わが子への自分の感情に怯えているなら。

抱っこがつらい自分を、
冷たい親だと責めているなら。

それは、あなたの冷たさの証拠ではないと思う。

あなたが渡されてこなかったものの、証拠だ。

そして連鎖は、
気づいた人のところで、止まり始める。

私は医師の言葉を、ここに置いておきたい。

「気づいたから、なんとかなるでしょ。」

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